ももベルのトラベルぶろぐ

ドイツ生活や人生という名の旅の記録。

3ヶ月の日本滞在を終えて、ドイツに戻りました。

5月初旬、3ヶ月滞在していた日本の実家から、筆者夫婦が住むベルリンの家へ戻った。

「ドイツに戻る」「帰る」といった表現がしっくりくるのは不思議だけれど、

別のヨーロッパの国に旅する時に感じる”異国感”とは違って、ドイツへ戻ることにどこか安心感を覚えるようになった。

(父のことがあったので)日本の母や兄のことを思うと、ドイツに戻る事への心配不安が大きかったけれど、

時間の流れは本当に早いもので...3ヶ月があっという間に過ぎ去っていた。

今回は「寂しくなるから」と、あえて空港には来てもらわず母とは家の前で、兄とは地元の駅でお別れをした。

1年半前、一人で日本へ帰った際には母と父が空港まで見送ってくれたのだけれど、

その時は夜遅い便だったこともあり、空港が静かで、しんみりと寂しい雰囲気の中で日本最後の時間を過ごした。

だから、そんな雰囲気の中で両親に「じゃあ、行くね」の一言を言う事はとても難しいことだった。

(吉本ばななさんが何かの本でお話しされていた通り)『親を勝手に死なせてはいけない。』けれど、

ありがたさと同時に「いつまで見送ってもらえるんやろう」...そう思いながら日本を後にすることは正直、何度もあった。

日本へ帰る度、一年でも本当にさまざまな変化を感じていたし、その『変化』というものを祖母の死によってより強く、深く、痛感した。

だから、空港で見送られるのはありがたいけれど、今の自分はそれが好きではない。夜で人が少なく、うっすら暗い空港は尚更。

だから今回は皆んなと地元で別れることにした。母とはハグ、兄とは握手をして。

旦那さんには「兄ちゃんとハグし〜」と背中を押したら2人してニコニコしながらハグをしていて微笑ましかった。

(旦那さんは今まで日本の文化に倣って、筆者家族の誰にもハグをした事がなかった)

20時間弱かけドイツへ戻り、気がつけばあっという間に一週間が経過。

そのタイミングで父の三回目の月命日を迎え、翌日には母とビデオ通話をした。

電話越しの彼女は思っていたよりもずっと元気で、たくさん前向きな言葉を発したり、

「人と会うって大切やね。特に”会いたい”と思える人と会うことは。」と繰り返し話していて、そんな姿を見て安心した。

親というものは子供を心配させまいと自分自身のこと(特に大事なこと)を言わないことも多いけれど、

「これからは悩んだ時とかにちゃんとお話しするね」と言ってもらえたのもすごく嬉しかったし、良かったなと思った。

話の流れで筆者が「お父さんが亡くなったことがいまだにわからへんくて、(入院してた時の)写真見返すたびに「あぁ、そうか」と自分を納得させてるねん。」と話したら、

「お父さんが亡くなったことは残念ながら本当のことやねんな。もしかしたらそれを信じたくない/受け止めたくないから「わからない」って思ってるのかもしれんけど、これはもう事実やし、受け止めるしかないんよな。」

...という風に声をかけられ(おそらく核心をつかれたから)思わず目が潤んだ

「お父さんもさ、子供たちが幸せやったらそれでいいと思うんよ。嬉しいと思うんよ。私も同じ立場やったら絶対そう願うよ。」

そう、母が続いてお話をして、「うん、うん。」と頷いた。

上記でお話した通り、3ヶ月経った今も父の死を受け入れきれずにいる自分がいる。

もう戻ってこないことはわかっているけれど『亡くなった』という事実をまだ理解できずにいる。

また、日本にいる間は「家族を守らないと」「しっかりしないと」と思うあまり、知らず知らずのうちに自分の気持ちを抑える癖がついていた。

けれど、ドイツに帰る数日前ごろからそれまでの張り詰めていたものがプツンと切れ、その反動のように、心身に疲れがどっと押し寄せてきた。

地元のスーパーで買い物するのも、電車で立つのもしんどくて「帰りの飛行機大丈夫かな?」と不安になったり、

(急激に信じられないぐらいの疲れや睡魔が来て)「気を抜いたら気絶しちゃうんじゃないか?」と思う時もあった。

気持ちの面ではどんな些細なことでも突っ込まれると凹んだり、全て否定された気分になって涙が出そうになる事も。

ちょうど1、2ヶ月前にがこんな状態だったから、自分の状態はすぐに理解することができた。

今は心身ともにその時よりも安定しているし、ずっとずっと落ち込んでいるわけでもないし、楽しい時間も嬉しい時間もたくさんある。

これからの楽しみも沢山あるし、やりたいことは山積みなのだ。

だけど、夜寝る前、お昼を食べた後、ふとした瞬間に、大きな喪失感や人生に対するつまらなさ、自分に対する嫌な気持ちが生まれやすい。

自分の気持ちを自分で整える練習は特にこの2年間でかなり勉強し実践したので、客観的に自分や物事を見ることはだいぶ得意になったと思う。

自分の機嫌を取ったり、持病の発声障害のことで大きく心揺らぐことも、以前と比べて本当に減った。

少しずつ歩いて、ぶつかって、失敗して、学んでを繰り返しながら、確実に前に進んでいる

ただ、今の筆者は...「頑張りたくないし、頑張るつもりもない。」

けれど、自分の毎日は大切に過ごしたいと思うし、もっといろんな世界を見たいなと思し、毎日学びたいこと気づきたいことが、たくさんある。

だから、筆者自身、落ち込むことやひどく悲しくなることがあっても、常に学びの機会』と捉えてゆっくりでもちゃんと乗り越えられる。

そして、大変なことを決して不幸な出来事と思わず/言わず、むしろ「自分は運がいい」と常に思っている。

たまに自分のことを信じてあげれていない時もあるけれど、最終的にはいつも「学びのチャンス」「運がいい」に落ち着くから、それでいいのだ。

運が良いと言えば…この辛い時期の中で、本当にたくさん人の優しさに触れた。

「大変だったね」と寄り添ってくれる人、何も聞かずにただそばにいてくれる人、「私も〇〇が亡くなった時さ…」と自分の経験を通して声をかけてくれる人。

さまざまな優しさで皆んなが包んでくれて、励ましてくれて、本当にありがたかった。

ブログを書いている今は朝の10時ごろ(サマータイムの今は日本との時差7時間)

文章を綴りながら「日本にいる家族のことは気にはなるけれど”心配”よりも”応援”という意味で遠くからでもそっと寄り添えたらいいな」と思った。

…うん、なんだかしっくりくる響き。

今日のドイツの気温は22度と少し暖かめ。木々の緑が美しく、散歩が気持ち良い季節でもある。

心癒される美しい気候の中で、自分のペースで少しずつ「楽しい」を繋いだり、人生が豊かになる経験や学びを重ねていけたらなと思う。

この文章を読んでくださっている読者様も、穏やかで、素敵な季節を過ごせますように。

いつもありがとうございます。 by ももベル

 

Twitter:https://twitter.com/momobellblog
Instagram:https://www.instagram.com/momobellblog/

ブログランキング参加中⬇︎いつもありがとうございます✨

ブログランキング・にほんブログ村へ ももベルのトラベルぶろぐ - にほんブログ村

© 2020 ももベルのトラベルぶろぐ All rights reserved.

プライバシーポリシー